大原新田の棚田
島根県横田町
2006年6月17日
江戸時代に鉄師(絲原家)が私財を投入して、かんな流し(砂鉄採取地跡)によって出来た土地を畑に造成し、 田んぼに整備されて今の形になった。 大きく、綺麗に整備された棚田は一見すると区画整理された圃場のようですが、 古来より人の手により整備・保全されてきた棚田で当時の技術の高さが伺わせます。 〜goodtimeの追想〜 山王寺の棚田撮影後、先週に引き続き同じコースを辿るため農道を走る。 信号も車も無い道も狭くなくて快適な朝のドライブ。 そこでふと思ったが島根県は農道が多い。 ドライバーとしては嬉しいことだが、山々を削ってまで造る必要性のある道路なのだろうか・・・ 6時50分、大原新田に到着。 先週、入り込むことが出来なかった砕石場の獣道を歩いて棚田が見渡せる小高い場所へ移動。 獣道と言ってもたった十数メートルだが、草木に関して素人なので、これはカブれるのか?と不安になる。 その場所には杭が打ってあり、歩いてきた道を見ると人の手で開拓しているように見えた。 いずれ削られていく山なのか、それとも棚田撮影のためのポイントなのかはわからないが、 棚田をサイドから狙える好ポイントなので、棚田百選に認定されているのなら、 綺麗に整備されて展望台が出来れば良いのだが。 今は曇りがちな天気だが若干日差しが当たっているので軽く撮影。 広大な棚田だが、実は棚田百選に認定されているのは、手前2列のみだと、 地元の人に教えてもらった。 見た感じどこがどう違うのかわからないが、地元の人曰く、高さが違うらしく、 確かに見比べてみると1m以上の段々となっている。 ついでに棚田の歴史と撮影場所を教えてもらったが、 砕石場の小高い場所だったが、獣道を歩く準備をしていなかったので、 今回、再度訪れての撮影となった。 元は砂鉄の採取場で、目を瞑って当時の景色を想像してみるのも面白いかも。 |